洞穴を抜ける

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潮の気配を感じた。
標高2,000mを越えているはずだが、錯覚だろう。

行く手を塞ぐ大きな岩壁に、穴が開いていた。
潮気を含んだ風が吹き抜け、濡れた空気が頬に張り付く。
洞穴の奥から、波が砕ける低い響き。それでも私は迷わず中へ進んだ。地図がなくても、行く先は決まっている。

ライトを頼りに、慎重に足を運ぶ。
苔むした岩肌が光を吸収して、やけに暗い。
時折、水滴が落ちる音が響き、それがなぜか足音に聞こえる。

「妻は、こんな所を通ったのか」

そう考えると、歩みは早まる。

しばらく進むと、洞の出口が赤く染まっていた。
夕焼けかと思ったが、まだ昼前のはずだ。
光の強弱が乱れ、目の奥に刺さる。

外へ出ると、唐突に別の景色が広がった。

海だ…流氷か?

こちらは行けないと判断し、洞に戻り別の出口を探す。

そこは、稜線だった。
強いガスがかかり、遠くまで見渡せない。
だが足元は確かに高山帯。
なのに、湿った土と、潮の匂いが混じる。

標高計は2,500m前後。
ハイマツの中に、赤や黄に染まった植物が見えている。

GPSは沈黙したままだ。
ここまで来ると、壊れているとしか思えないが、そんなことはよくある。
焦る必要はない。

歩かなければ、時間だけが過ぎる。
妻の足跡を追っているのなら、止まるわけにはいかない。

今日の行動範囲と残りの食糧を確認しつつ、風を避けられる場所を探し始める。
夜は冷えるだろうが、まだ雪は出てこない。

見えるものと、頭で理解できることが少しずつ噛み合わなくなってきている。
だが、山ではよくあることだ。
疲労か、軽い高度障害だろう。

問題ない。
前だけを見る。

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