GPSはもう必要ない。
位置が分からなくても、進むべき方向は身体が知っている。
沢沿いを登る。
足音、岩肌の冷たさ、湿った空気。
五感が研ぎ澄まされていく。
しばらくして、水が切れた。
前方は岩の壁。
でも、壁を見た瞬間にわかった。
登れる。
――いや、登る。
決断ではない。
反射でもない。
もっと奥の、考える前の場所で
もう決まっていた。
岩に手をかけたとき、周囲の音が遠のいた。
風は吹いている。
鳥もいる。
沢の音もあったはずだ。
なのに、全部、自分の内側からの音みたいに聴こえた。
耳は、かつてないほど微かな震えすら拾い、
森の呼吸に同期する。
指先に触れる風は、風向きと風速を知らせる。
鼻腔に触れる感触が、
遠くの獣の気配までも運んでくる。
世界が、私の動きだけを待っている。
……いや、違う。
世界の中心と
自分の中心が
一致しつつある。
怖さはなかった。
安心もなかった。
ただ、そこにある唯一の方向へ。
上。


